今週の「人」クローズアップ


製作中につきしばらくお待ちください。

 

【番外編:トンガ】ロバート・クッカー

TV東京の娯楽番組、『ウソのような本当の瞬間;30秒後に絶対見られるTV』。この番組収録に我らフィーバーズのみならず、マスターズリーグ等の有志が集まり、お盆休みの日曜日に試合形式練習を行ったのは、まだ記憶に新しい。

お盆期間に突如収録され、9月になってようやくオンエアされ、その番組に登場したトンガ人『ロバート・クッカー35歳』  彼のその後をお伝えします。

 

(左写真をクリックすると番組HPに行きます。)

番組内で紹介されたロバートの体重は、167kgとなっている。日本に居た期間は8週間だったようで、この番組制作費はこのロバートの部分だけで1千万円を越えたとか。そして、問題はその後だ。
彼は、試合形式練習に参加したフィーバーズの面々を、何と!トップリーグの2軍レベルと解釈していたらしい。

彼の頭の中は、「これが日本ラグビーのトップレベルなら、俺もこの国でトップリーグを目指せるかもしれない!」というものだった。う〜ん。実に微笑ましいレベルの誤解だ。

 


ロバートはトンガ帰国後もダイエットを続けているらしく、10月3日現在115キロ寸前までダイエットに成功した模様だ。計算上は52キロものダイエットに成功している。

 

確かに、右上の写真では多少引き締まった顔立ちになっている。


問題は、この後だ。先述した様に、彼はフィーバーズがプロレベルなのだと大きな勘違いをしているのだ。彼の希望は、まさに「夢物語」なのだ。
かれの夢描く「三段跳び」は以下のシナリオで成り立っている。

 

【ホップ】ダイエットに成功し、体重を110kg程度に落とす。超人的な体力も回復。

 ⇒ここまでは、良いだろう。自分のことだから楽しんでダイエットして頂きたい。

【ステップ】トライアウトに参加するために、フィーバーズまたはその関係者が渡航費の負担を申し出る。

 ⇒あれれ?いつの間にプロ気分になっているのだろうか?

 

【ジャンプ】日本のトップリーグのトライアウトに参加して、プロとしてのキャリアを日本でスタートさせる。

 ⇒ワールドカップは近い。だが、ここまでの道は相当遠いと考えるのだが・・・・。

 

彼にエールを送りたい人は、以下のアドレスに送ってあげて頂きたい。

 

Robert Cocker <robert.cocker83@gmail.com>

 

 

 

【番外編】よしおか


秋の人事異動で、郡山(単身赴任)転勤となった吉岡さん。番外編でお届けします。


本名:吉岡修(よしおかおさむ)

出身:神奈川県

1968年6月27日生

ラグビー歴:37年?(中学から)

ポジション:FW中心に空いているならどこでも

体重80kg?

趣味:ラグビーと犬 

信条「信じ・待ち・許す」

職業:信販会社の営業管理職として勤務中 既婚 

ペット:ジョナ(トイプードル)

所属チーム:フィーバーズ・神奈川不惑・川越ファイターズ・大阪惑惑その他助っ人参加で数十チーム

男が惚れるラガーマン

52,64,82,115、一体何の数字だろう。実はこの数字、この男が2013年から参加したラグビーの試合数を追いかけてきた数字だ。この数字を聞いて、草ラグビーの実態を判っている人なら誰しもが思い浮かべる言葉がある・・・「ラグビー馬鹿」

そう。吉岡は、公私ともに認める「ラグビー馬鹿」なのだ。

2013年の52試合でさえ、計算上ほぼ毎週していることになる。

それなのに、彼のこなす試合数は年々エスカレートして、2016年には115試合を記録している。

関東社会人リーグで41歳まで現役でプレーしていたというから並大抵のプレーヤで無い事は言うまでもない。

一体どういった計算が成り立つのだろうか。毎週末土日に参加するだけではなく、1日に午前1試合、午後1試合などとダブルヘッダーで出場する以外には考えられない数字だ。

この男、単に参加するだけではない。2016年には実に年間32トライも得点しているというから驚きだ。この男、この年齢のラガーマンにありがちな「俺が!俺が!」という自己顕示欲をあまり表に出さない。ただひたすらタックルをして頭からラックに突っ込む。ラガーマンの中のラガーマンである。これが彼の人望に繋がっている。別の言い方をすれば、「男が惚れるラガーマン」なのだ。

 

 

その為か、関東と関西それぞれに吉岡の密かなファンクラブ(男中心)が存在しているという噂さえある。写真を見て判るとおり、甘いマスク。プレーでは、数々飛び出す強烈なタックルと献身的なサポートプレー。タッチ際のラインナウトでは天高く羽ばたき、ボールをキャッチする。トップリーグのOBプレーヤーでさえもうならす底知れぬ体力。

 

(写真左・右上)天空のラガーマンである吉岡は、人の背丈の倍近い跳躍をして、ボールを奪い合うのだ。
学生時代から磨いたスキルは、随所で活かされる。

(写真右下)見事なタッチキック


ラグビーエリートでラグビー馬鹿 。  信条は「信じ・待ち・許す」

年齢がもうすぐ50に到達するという「ラグビー馬鹿」。その吉岡がラグビーを始めたのは、中学生の時だ。吉岡は、中学・高校時代に神奈川ラグビー界では名門校として知られる日本大学高等学校(通称日大日吉)で活躍した。吉岡が中学に上がった頃に、日大高校は神奈川県大会を制覇して全国大会に出場していることからすると、吉岡が過ごした中学・高校時代は神奈川のトップレベルに居たことが窺える。吉岡は、後に大学ラグビー全国制覇≪9回≫を誇る関東学院大に進学する。大学ラグビー界で伝説の監督と慕われている春口廣監督指導の下、4年間大学ラグビーに明け暮れた。後に活躍する関東学院大の礎を築いたのが、正に吉岡の世代だったことは間違いない。それが証拠に日本代表フルバックで活躍した松田努(関東学院⇒東芝;日本代表キャップ43)を「ジョン」と呼び捨てにする。(このラグビーインタビューで筆者に唯一見せた自慢話。)

 

吉岡は、学生時代に鍛え上げた体力と愚直な性格を武器に!と恩師の春口監督に推され、大手信販会社に就職する。バブル期の終焉に合わせ「大手信販会社」に就職が決まった吉岡。その吉岡に期待され、託されたミッションや仕事内容を、ここに改めて書くまでもないだろう。

(読者の誤解を招かないために敢えて記載するが、吉岡の手足の指は生え揃っています。)

 

吉岡は、年間を通じても数少ない「ラグビーのない休日」には、2歳年下の愛妻 幸子(さちこ)さんと愛犬 ジョナ(トイプードル)を連れて出かけるらしい。

 

インタビューの最後に「家族の許しがあってのラグビーなんです。」と照れくさそうに吉岡は語った。 「信じ・待ち・許す」というのが彼の信条のと言っていたが、実はこの言葉、夫婦相互の誓いの言葉なのかもしれない。

 

9月の人事移動で、急遽郡山への単身赴任が決まったが、赴任地の郡山でもこれまでどおりラグビーを続けて欲しいものだ。そして、フィーバーズの試合へもどんどん参加して貰いたい。

2017.9.20

vol.3 おざわ

本名:小沢大樹(おざわだいじゅ)

出身:福岡県

1977年6月6日生 

ラグビー歴:25年超?(不詳)

ポジション:No.8を中心に空いているならどこでも
体重:103kg

趣味:ラグビーと飲み会

モットー「髭は剃らない」「スーツはオーダーメイド」
職業:某百貨店バイヤー 既婚 
所属チーム:フィーバーズ・SRC(すせんじラグビークラブ:福岡周船寺)

 

スクールウォーズを見てラグビーを始めた男がここにも居た。と言っても小沢が見たのは自身の中学時代に再放送されたスクールウォーズだ。

小沢はその再放送を見て以来、ラグビーの虜になってしまったようだ。

それまで中学のバレーボール部で活躍していた小沢にとって、中三の時に遭遇した、とある「入院」を切っ掛けに転機が訪れた。

小沢は何と入院で同室となった郷里「小郡高校」ラグビー部員の熱心な勧誘を受けラグビーに接することになる。
何と!あろう事か、入院中にも拘わらず小沢は「院」を密かに抜け出してラグビーの練習に参加したという、とんでもないエピソードの持ち主なのである。
(注:筆者の聞き間違いかもしれないが、院とは病院?X年院?要確認。)

 

 

小沢のスクールウォーズとの出会いは、彼の人生まで変えてしまった。小沢はその後、福岡県立早良高等学校、福岡大学へと進学し、九州学生代表にも選ばれるラグビーエリートとしての人生を送ることになる。九州学生代表時代の同期には、富岡鉄平(東芝ブレイブルーパス)が居る。

「ラグビーは仲間、人との出会い。」

小沢の座右の銘は実に見事だ。「ラグビーは仲間、人との出会い。」いかにもラガーマンらしい言葉だ。ラグビーをこよなく愛する小沢にとって、ラグビーは既に人生そのものなのだ。

その一方人生設計は抜かり無い。

女性との関わりの少ない独身者の多いフィーバースであるが、小沢には4歳下の愛妻(真理)が居る。妻の親族の結婚式で偶然出会った事が切っ掛けとなり一目惚れ。小沢は恋に落ちたようだ。ラグビーエリートの小沢にも止められないものがあったのだ。

小沢は真理さんに逢うなり、ノーホイッスルトライの如く猪突猛進!一気にアタックした様だ。普段冷静な真理さんも、数多くのラガーマンが経験するかの如く「小沢の突進」を止めることは出来なかった。

まだまだ新婚の雰囲気を脱しない夫婦なのであるが、妻曰く「小沢が暑苦しいのでキスはしない!」のだそうだ。(実は、真理さんは猛獣使いの如くに小沢を操縦している。)

真理さんの作る手料理(餌)を、こよなく愛する小沢。今後肉体的にも精神的にも管理され、大いに成長する事だろう。今後の小沢に期待したい。

 

[残念な事に、この取材記事を載せるタイミングで小沢が九州に帰ることになってしまった。小沢夫妻の九州での活躍を祈念したい。

2017.03.20

 

vol.2 やまもと

 

本名:山本宣行(やまもとのぶゆき)

出身:滋賀県

ラグビー歴:25年超?(不詳)

ポジション:オールラウンダー

趣味:ラグビー・冒険・旅行・東京生活

所属チーム:フィーバーズ 東京民放RFC

 

ここに紹介しなければならない男が居た。その男とは「やまもと」である。数年間影を潜めていたが、この男は東京に帰ってきた。そして、何事もなかったようにすんなりとフィーバーズの指定席に収まった。フィーバーズへの参加が少ないチームメンバーにとって、やまもとが数年間大阪勤務だったと聞くと耳を疑うかもしれない。それもそのはずだ。やまもとは、月に一度は東京に足を運びグランドに姿を見せていたからだ。

 

「やまもと」の出身は滋賀県である。空調設備業界トップ企業のサラリーマンでありながら、実家の稲作農家長男として数ヘクタールの水田を守りながらも、平日には日本全国を駈け回る営業という激務をこなし、週末には東京での草ラグビーで汗を流す。正にスーパー営業マンなのだ。日夜多忙な「やまもと」にとって、新幹線や飛行機は単なる移動手段で下駄代わりだ。そんな彼にとっての乗り物とは、キャタピラの付いた稲刈りトラクターや耕耘機。そして、大型トラックなのだから、第一印象を裏切らない「ワイルドな男」と言いきれるだろう。そんなワイルドな一面を見せる一方、取引先や知人友人を訪問するときには、必ずと言って良いほど茶菓子などの土産を持参する。繊細で気の利く器用さを兼ね備えた男なのだ。やまもとにとってBBQ奉行の要となる「火おこし」は得意技だ。

 

地元滋賀県のラグビー協会をはじめ、武蔵野ラグビー協会でも「やまもと」の存在を知らない者は居ない。しかし、やまもとの素顔は実に謎に包まれている。女性関係しかりだ。

★★★

この男、東京が好きであることは間違いない。しかし、彼の口から出てくるのは、明らかに「関西弁」。彼が「標準語」を話していたとしても、その発音は実にぎこちなく、在日期間の長い外国人の日本語のようにさえ聞こえてしまう。彼にとっての東京弁(アクセント)は、どこか取って付けたような不自然な発音になってしまう。彼がどうやって標準語を話そうとも、関西弁を丁寧に発声しているようにしか聞こえない。彼にとっての日本語スタンダードは、関西弁なのだ。一般的には大阪出身であろうが京都出身であろうが、関西出身者が東京に居を構えて生活する際には「標準語」を話し、東京風の暮らしやライフスタイルに同化してしまうものだ。しかし、「やまもと」は自分のライフスタイルを一切変えない。

きっとこれからも・・・・。ある意味、粋な男だ。 

 

そんな「やまもと」を強烈に脳裏に印象づけるのは、彼が手にする赤のマルボロ(煙草) とジッポーライターだ。夜、彼は一人スペインバルやシガーバーに出かける。彼が手にするものは昼間のマルボロ煙草から葉巻に変わる。その葉巻をくわえた「やまもと」から漂う香りはキューバそのものだ。カストロや、チェ・ゲバラの風格さえ漂わせる。そんな「やまもと」を知る仲間は、彼を「キューバ」と渾名で呼ぶ。我々にとって「やまもと」はカリスマなのだ。

 

2010年には、ミクロネシア連邦ポンペイ島でのラグビー普及活動に突如志願し参加した。

 暑さでバテる普及活動員の中で、ポリネシア系現地人の輪の中に飛び込み、一際目立つ存在として強烈なリーダーシップを発揮しラグビー指導を行った。まさに、やまもとが光った南太平洋、ポンペイ遠征だった。

 

40歳を過ぎ、益々円熟味を増した「世界のやまもと」から目が離せない。

writer:E.H

vol.1 あべちゃん

本名:阿部哲也(あべてつや)

出身:東京 

ラグビー歴:24年。

ポジション:ナンバーエイト、バックロー

趣味:ラグビー・冒険・外洋クルーズ

現在チームで最も注目されている男である。

これまでの39年間全国を飛び回っている活動的なナイスガイ。本来チーム内で最もインテリと思われる経歴であるが、そんなキャリアを微塵も感じさせない気さくなところがチームメイト内外を問わずファンを増殖させている。主な所属ラグビーチームは、我らがフィーバーズ。そして学士ラガーだ。最近は、フィーバーズの参加が多くなっている。

チームの仲間からは、「あべちゃん」と呼ばれている。優しいルックスの阿部。生来の活動的な性格もあり、暇を見つけると常に冒険へと旅立つ様だ。昨年は、友人宅を起点にマレーシア一人旅を決行している。一人旅に飽き足りず、今年になって外洋ヨットでの「世界冒険旅行を目標にしたトレーニング」への参加を開始した様子だ。乗船4回目にして(9月3日には)台風接近中の嵐の中、荒れる相模湾横断を果たした。まさに常識破りの行動なのだが、無傷の生還を遂げている。相模湾横断の翌日には、フィーバーズの催行した山梨遠征に参加するという、実に豪快な男なのである。チームの信頼が厚いのが頷ける。

接戦の予想された遠征試合では、キックオフ早々に相手を引き釣りながらトライを挙げた。チームは阿部の勢いをそのまま試合の流れに変え、勝利を果たしている。「あべちゃん」大したものだ。

★★★

ヨットで相模湾を横断クルーズした阿部に対し、待ち受けていた地元フラガールが記念撮影を迫った際、嫌な顔一つ見せずに記念撮影に応じる様は、まさにスター性を帯びた阿部だからこそできる自然体の対応なのだった。(写真:右)

※本来は、嵐の後のクルーは憔悴しきっているため、写真撮影などに応じることは無いのだ。

 

来年2017年は、春には所属する飛車角艇(小網代ヨットクラブ所属)で台湾への国際外洋クルーズを予定しているそうだ。

本項を読んでいる人にとって阿部とヨットの関係が今ひとつ理解できない人も居るだろう。

ここで阿部と外洋ヨットの関係に説明を加えておこう。

実は阿部には日本のヨット界では有名な、千葉大学外洋ヨット部出身の父親がいる。

父親は今も現役ヨットマンなのだ。阿部は幼少の頃からヨット乗りの長男としてヨットに親しみ、家庭内の会話はラグビーよりもヨットの話題を中心に育っていたのだ。

そんな阿部家であるが、阿部は高校、大学、社会人とラグビーの道を進んできた経緯がある。

しかし、中年に差しかかった阿部にとって、もはや父親へ言い訳をするわけにはいかないのだ。

外洋ヨットを乗りこなすスキルを身につけ、世界の海へ船出する準備を進めることは、阿部家の必然だったのだ。

 

今後益々人気者となる「あべちゃん」こと阿部。

年内に一般女性との婚約発表を自ら予告するなど、周囲を困惑させる今日この頃である。

突然発表などして、世の娘達をガッカリさせないで欲しいものだ。

筆者も今後の「あべちゃん」動向には注目していきたい。

 

writer:E.H